久方ぶりにとれた休日は、しかし薄く匂うような枝垂れ雨だった。

シトシトと、遠回りに弧を描くような細い雨の音を聞きながら薄明かりの下で読み物をしている日番谷の横顔は真剣そのものだ。
やはり曇り空のせいで明瞭さに欠く室内での読書は疲れるのか、時々瞼を伏せて息を詰めるような仕草をする。
は“そんなに疲れるなら読書なんかやめればいいのに”と、思いながらも結局口に出す事はせずに、怜悧に徹った彼の横顔を黙って見つめていた。
何だかんだ言って、彼女は何事にか没頭している日番谷の横顔をこうして見つめる事が嫌いではなかった。

随分の間、そうして彼の微動だにしない横顔を観察していたが、ふいに興が逸れたようには目を閉じた。
梅雨には程遠いこの時分に降る雨がもつ独特の匂いを嗅ぎ分けるように、明り取りのために開けられた障子の向こうの庭先を見つめる。
手入れの行き届いた日番谷の私邸の庭にゆったりと細く降る雨に紛れて、一本の桃の木が植えられているのが見て取れた。
既に花は散り、艶々とした葉が繁っているだけだが、不思議と風景に馴染まないその佇まいにはやんわりと眉根を寄せた。


「…冬獅郎は桃ちゃんが好きだって聞いた」


庭を見つめたままぽつりと呟くと、それまで紙面へと集中していた日番谷は数瞬遅れて顔を上げ“分からない”という顔をする。
彼女と同じように眉根を寄せて、ほんの少しだけ首を傾げる。


「何だ、何か言ったか?」
「桃ちゃんが好きだって、聞いたって言ったのっ」


視線は雨濡れる庭先へと向けたまま、彼のほうけた様な物言いに焦れたのか語尾が少し乱暴になってしまった。
しかし日番谷は彼女の様子など気にも留めず「何だそれ」と、相変わらずほうけた返答をしてきた。
何かに没頭して無防備になることは彼にとって長年側にいる幼馴染に対する気安さの表れなのだが、今のにはそれがもどかしくて仕方なかった。
相応の、少年らしいきょとんした顔――しかし眉間に寄った皺は相変わらずだ――で此方を見つめている日番谷を睨むと、その手に広げられている厚手の書籍を取り上げようと手を伸ばした。


「お、い…こら」


急ににじり寄ってきた彼女から逃れるように本を持った方の手を高く掲げた。
それでも追いすがった彼女の身体がバランスを崩したので、結局のところ堅守しようとした本は無雑作に放られることになった。
ぽすりと、儚いような重さで自分の胸の中へと収まった幼馴染の旋毛を見下ろして日番谷は溜息を吐く。
そのままズルズルと畳を滑っていきそうなの華奢な身体を支えるように、背中に手を添えてやる。
は彼の息衝きで緩く震えた自身の髪束を意識しながら、恐るおそると言った様子でその程好い厚みのある胸板へと身を預けた。



「冬獅郎は、桃ちゃんが好きなんでしょ」
「…お前な」



日番谷は未だむくれたように不機嫌な声色で問いかけてくるに呆れたような苦笑を返す。
すると、彼の鼻芯を彼女の項のほの甘い香りが柔らかく突いて、思わず言葉に詰まった。

彼の脳裏に先日見かけたと彼女の上司である藍染との睦まじい遣り取りが浮かんだ。



ふんだんに降り注ぐ光の下で何事か愉快そうに報告をする
それをにこやかに、時々合いの手を入れながら聞き入る藍染。
くすくすと笑い声をたてた彼女の頭皮をゆっくりと撫でる彼の指の長さ。

掌の大きさ。
注ぐ光の眩しさ。

離れたところで佇む、自分。

例えばそれが雛森であったなら。



「そうなの?」



溜息をついたまま、ぼんやりと何も言わない彼に再び焦れたの物問う視線で現実へと引き戻された。
日番谷は殊更ゆっくりと瞬きをすると、薄く口角を上げる。




「かもな」




そう言った瞬間、その深蒼の瞳を瞠った彼女が何か言う前に背中に添えた方の手で肩を掴み、少し強引に触れた身体を引き離した。
そのまま立ち上がると彼女が居た胸の辺りが冷たいような気がしたが、日番谷は敢えてそれには気づかない振りをした。

それ以上何も言わずに部屋から出て行く彼の背中を目で追いながら、は無意識の内に頬を伝った雫を乱暴に拭う。
聞こえないと分かってはいるが、それでも言葉にしてみた。




「冬獅郎なんか、大っ嫌い」






世界は既に欺きの上に

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