人は孤独な生き物だ。
それは単に友人がいないとか頼るものが何もないという状況のことではない。例えば、俺はアイツの悩みや苦しみを想像して理解することしかできない。俺はアイツではないし、アイツも俺ではない。どんなに長い時間を共有しても感じとることは違う。互いに何を考えているかなんて本当のところは分からない。疑っているわけではないが、口では言ったことも頭の中ではどうだか分からない。もしかしたら正反対のことを思っているのかもしれない。相手を傷付けまいとして吐く嘘など、たくさんある。
俺たちは、決してひとつになることは出来ない。どんなに愛していても、ある距離よりその先には絶対に近寄れない。それは俺たちの自己防衛とでもいうべきか。太陽に近付きすぎたイカロスの翼が溶けて墜ちたように、ふたつはひとつになれないのだ。もしもひとつになろうとするのであれば、必ず拒絶が生じてしまう。
それでも俺たちは、誰もが必ず愛するものとひとつになりたいと願う。人は感情のある動物だからだ。ひとつになりたいという本能がある一方で、ひとつにならないという理性をも持ち合わせている。だが、もしも、ふたつがひとつになることが出来たならば人はどうなるのだろう。俺は、アイツとひとつになったとき、互いに互いを失なうのではないかと思う。俺はアイツが見えなくなる。感じることさえも出来なくなるのではないか。ひとつになるとはそういうことではないのか。
それならば俺は、ひとつになどなりたくはない。失なうのが怖いからだ。唯一の自我が動く瞬間を与えてくれるアイツを。
白の小さな花が咲き、どこか懐かしい気持ちを想い起こさせる匂いが風に運ばれて、俺たちはその匂いに導かれるようにその花の前に立ち止まった。風が吹くだけで、粉雪のように散る黄色の花粉。白い花から香る匂いは胸の奥を掴んで放さない。その匂いは俺を悲しい気持ちにさせるんだ。だがその悲しみの中に快楽があって、何度も何度も感じてみたくなる。
俺は大きく息を吸い込んで瞳を閉じた。
「良い匂いだね」
アイツも俺と同じように隣で息を腹一杯まで吸い込む気配がした。胸を締め付けられるような、この感じがきっと“切ない”という気持ちなのだろう。百合の匂いは、少し憂鬱な気分にさせる。
だが、ここから立ち去りたいわけではない。むしろ、この匂いをずっとかいでいたい。この匂いがすきなんだ。
「何かあったのか」
「なんで?」
「なんとなく、だ」
「何もないよ、何も」
どことなく、アイツの表情が曇ったような気がした。困ったように笑うのはアイツの癖だ。自分の気持ちを押し込めて、周りに気を遣ってばかりいたアイツの後遺症みたいなもの。そういう笑いはやめろと言ったのに、直らないのはやはり傷が深い証拠なのだろう。
「俺に気を遣うなっつっただろうが」
アイツの頭を軽く叱ってやるように叩き、その手で前髪をぐしゃぐしゃに逆撫でてやるとアイツは笑う。困ったようにではなく、無邪気に。そういう顔をいつまでもしていて欲しい、にだけは。
「最近、日番谷、笑わなくなったなあって思って、ね」
「あ?」
「なんか、こう、顔が凍っちゃったみたいにさ」
笑わなくなってしまったのは今に始まったことではない。それは少しずつ、心を動かさない日が積み重なって感情表現の仕方が機能しなくなる。人は、嘘が得意だから頭の中で思うことと正反対のことを言える。自分の気持ちを見て見ぬ振りをして、押し殺す。規律、拘束、掟、条令、そういったものを守る為にいちいち個人の感情など尊重していては世界が成り立たないんだ。俺はその規律や掟を取り締まる職であるから尚更のこと。
心が死んでゆく。使わない心が。
「心って、どこにあると思う?」
「あ? 心?」
「ルキアちゃんに聞いたんだけどね、心っていうものは体の中にはないんだって」
確かに医学的にも心という部位は存在しない。およそ二百年前の日本人は心が胸の中に存在すると解剖図に描いていたがそれは実際に解剖をしてみてすぐにないことが解った。
「心っていうのは、ここだろ」
俺はの頭を指して小突いた。痛みや寒いといった感覚は信号となって脳に送られ、それが怖い、悲しいといった感情になる。この花の匂いもまた神経を刺激して信号に変わるのだ。
「うーん。日番谷らしいね」
「で、朽木は何て言ったんだよ」
「心はね、こうやって“他人と触れ合うことで間に生まれる”んだって」
そういっては俺の右手を握り、向き合った。
「“誰かを想ったり、何かを想うことで初めて心が生まれる”……私、それ聞いて、あーそうだなあって納得しちゃったよ」
は肉刺が潰れて堅く、ガサガサになった俺の掌を優しく優しく包み込んだ。何匹をも虚を斬ってきたこの手は、ボロボロだ。俺の体はまだ成体ではないから体が脆い。柄との摩擦、氷輪丸の寒さに耐えられない皮膚は火傷している。そんな汚い俺の手に好んで触れてくれるものなんていない。いなかった。
「人は絶対にひとつにはなれないけど、私は諦めてなんかないよ」
「……」
「人は孤独なんかじゃないよ。何かを諦めたそのときが孤独なんじゃないかなあって思う」
それでもは俺の手を握ってくれた。少し汗ばんだ、綺麗な指で。はにかんだ笑顔が百合の匂いと共に俺の胸を締め付ける。痛みはないのに、苦しい。
「ひとつになりたくて、傷付けたっていいじゃん。喧嘩したっていいじゃん。いっぱい話そうよ」
いつもいつもアイツにははっとさせられる。こういう発想が俺にはないんだ。だから、俺はに惹かれるのだろう。
「私は日番谷を想ってるからさ、日番谷も私を想ってよ」
ならば、俺は手を繋ごう。心が強くあれるように、この隣にある手を強く握り締めて。
死んでいた心が息を吹き替えし、鼓動を始める。
本当は誰より弱虫で、誰より臆病者で、誰より失うことを恐れる俺は壊れてしまいそうなくらい強く側に在る手を握る。音もなく軋む心が潰されないように、お前を感じている為に。
白百合が香る瀞霊廷。
俺とアイツはまだうまく笑えないけれど、心は確かにここに在る。繋がれた二人の手の中に。
壊れそうなほどに強く握って
俺はを想う。
20070327 This fanfiction is written by OMI.
改めまして、初めまして。「I and You.」の桜深です。
えへ、こんな感じで二人で生きていけたらいいなあと。
この度は、36℃さんの企画に参加させて頂きありがとうございました。ではでは、また機会がありましたら参加させてくださいv